心を癒す(旅など)
2020年02月06日
久しぶりの横浜

ずいぶんと変わっていました。



これまでは東京出張時は浅草あたりをぶらついていましたが、
これからは横浜、鎌倉方面も楽しみたいと思います。

東京店では販売していないと聞き、横浜駅前店に立ち寄って買ってきました。
日経新聞土曜日版の投票で2番目のショートケーキは、クリームとスポンジのバランスが良い感じでした。少し小ぶりでした。
少し前に食べた、1番のアンリシャルパンティエはスポンジケーキが旨かった。
2019年12月30日
神戸のルミナリエ




最近の神戸のホームグランド・スターバックス神戸元町店の前からルミナリエです。

私の幼年期には路面電車が走っていて、夏は花を飾った花電車がゆるりゆるりと走っていました。

病床の叔母のところへ持っていき、食べさせてあげました。
ずっと遺言書作成のお手伝いをしてきて公正証書遺言ができあがった途端に叔母は倒れてしまいました。あと10年は生きてくれと、長く過ごした神戸の下町・平野の祇園神社のお守りを渡したばかりでした。とても残念です。叔母と私の誕生日も同じです。
このところ毎月のように神戸へ戻っています。
2019年11月02日
ニセコの旅人宿「アンビシャス」


ここで初めて夜空に煌めくスバルを見せてもらいました。
朝取りの馬糞ウニを漁師さん経営の食堂で食べにも行きました。
たくさんの秘湯に連れて行ってもらったり、山歩きも随分としました。

けれどもこの辺りは宿の前のミルク工房ができたくらいです。
当時は牧場だけだった、ミルク工房はどんどんと拡張して大きくなったようです。






2019年10月26日
2019年09月23日
2019年05月18日
釜石の「居酒屋マミー」





震災前には釜石を訪れたときは「のんべえ横丁」は、またいずれ来れるだろうと思っていました。
数十年前に日本一周中に釜石を訪れた時にあった、橋上市場もいずれまた、と通り過ぎました。
両方ともに無くなってしまいました。
あの頃は釜石駅前に、新日鉄の工場の煙突が山脈のように並んでいました。時代の移り変わりを感じます。
行けるときに訪ねておかないとチャンスを失ってしまうのですね。


盛岡を出るときにSLの汽笛を聞き、
訪問先の釜石では蒸気機関車に遭遇しました。観光シーズンに向けて試運転をしているようでした。
2018年10月27日
2018年10月06日
木漏れ日のなかの岩泉
2018年09月09日
神戸空港から仙台空港へフライト


この光景は好きですが、ここは阪神淡路大震災からの復興という建前で、採算を充分な検討がないままに造られた空港でもあります(そう言えば、NHKの東日本大震災の復興予算検証番組に出演した塩崎教授から、冗談混じりに「神戸空港の復興予算検証を私にやらないか」と言っていただいたこともありました。自分に力があればやりたかった)。




2011年春、この付近は大量の放射能が漂っていただろう、と思うと複雑な心境にもなりました。

仙台空港近くの、真っ赤な美しい夕陽が好対象でした。
色々な思いが交雑したフライトでした。
2018年08月11日
2018年06月24日
2018年03月31日
2018年02月03日
2018年01月27日
初詣に、清水寺へ行ってきました



着物姿のアジア系の人がたくさん初詣に来ていました。

5年前に来たときは、清水寺を造った坂上田村麻呂のご子孫と一緒だったので
貫主の長男さんが寺を案内してくださいました。特別な拝観でした。
ご子孫の宝物を貯蔵する田村堂は工事中で拝見できませんでした。
けれども普通の拝観者が入れない本堂の鍵を開けて、栄西の仏像を目前で拝ませていただきました。
迎賓室でお抹茶をいただいたり、5階建てくらいある非公開の仏足跡の空間を見学させていただきました。
2度と、5年前のような拝観はできないだろうな。

2017年04月15日
福島の花見山公園


花見山の手前の山の光景です。
花見山では桜の開花宣言があったばかりで、少しまだ早かった。

花見山は、阿部伊勢次郎さんが自分の山を「自分達だけで楽しむのはもったいない」と一般に開放したところだそうです。

花見山への道脇の菜の花畑です。

花見山への回廊にはレンギョウ等の花がきれいでした。
伊勢次郎さんは、自分の山に花を咲かしただけでなく
回りの農家さん達にも花を咲かしたようです。
福島の、昭和の花咲じいさんです。

花見山は今回はじめてでした。
寮生活を一緒にした友人には不思議がられます。
当時、40名ばかりの寮生のほとんど参加する合同ハイキングを毎年行っていました。看護学校の女子寮生とです。
私は、こういう企画を進める立場にずっといました。
なので、3年間も寮で過ごしながら、参加しないはずのに………。
実家への帰省等と重なったりしていたのかな。
近くの阿武隈川の河川敷で、川に投げられたこともありました。
女子寮とのつきあいが多かった寮でも、寮祭の打ち上げのときだけは女人禁制で、
枕木を組んで焚きながら、みんなで闇鍋を囲みます。
納豆や冷凍食品まで闇鍋にぶつこむ者もいました。
最後には、その年の寮への貢献度が高い寮生が順番に
胴上げされながら、阿武隈川に投げ込まれます。
2番目に投げ込まれたこともありました。
いずれも良いことばかりを憶えている、遠い想い出です。
学生のときにもっと花見山を訪ねていたら、良かったな。
2017年03月12日
2017年03月05日
ベートーヴェンの「英雄」
2016年04月16日
2016年03月03日
京都・大原の寂光院へ行ってきました
お正月の出来事です。遅ればせながらアップロードします。
京都・大原の寂光院へ行ってきました。
今年は雪のない大原の里のお正月でした。
御禁足の茶室・「孤雲」です。
今回はひっそりと大原を歩いてきました。
京都の某大先生が次に、大原を訪ねるときには
寂光院に強力なコネがあるので
一声かけてから訪れてください、とお話しいただいていました。
S先生に内緒で訪れました。
(大切なカードは、大事な人と来るときにとっておきたいのが本音でした)
豊臣秀頼寄進の雪見灯篭です。
四方正面の池です。
池のまわりには小径があり、どこからみても正面に見えるそうです。
ここも一般には開放されていません。
S先生にお声かけすれば案内いただけるかもしれません。
S先生は阪神淡路大震災のときに
専門家・大学教授からなる復興支援チームを立ち上げた立派な弁護士であり、大学で教鞭もとられています。
平清盛の娘・建礼門院徳子の御庵室跡です。
平清盛は歴史上唯一、神戸を都においた人です。
私の生家は、その都があった辺りにありました。
阪神淡路大震災で生家は全壊になってしまいました。

年も明けたので、
ぼちぼちとブログを更新していこうと思います。
2つのフェースブックとHPとを連携しながら
週一回程度アップロードできればいいかな、と考えております。
(かなり以前からの素材を貯めこんでいます。古い素材もアップロードしていきます)
今後ともよろしくお願いいたします。

今年は雪のない大原の里のお正月でした。

今回はひっそりと大原を歩いてきました。
京都の某大先生が次に、大原を訪ねるときには
寂光院に強力なコネがあるので
一声かけてから訪れてください、とお話しいただいていました。
S先生に内緒で訪れました。
(大切なカードは、大事な人と来るときにとっておきたいのが本音でした)


池のまわりには小径があり、どこからみても正面に見えるそうです。
ここも一般には開放されていません。
S先生にお声かけすれば案内いただけるかもしれません。
S先生は阪神淡路大震災のときに
専門家・大学教授からなる復興支援チームを立ち上げた立派な弁護士であり、大学で教鞭もとられています。

平清盛は歴史上唯一、神戸を都においた人です。
私の生家は、その都があった辺りにありました。
阪神淡路大震災で生家は全壊になってしまいました。

年も明けたので、
ぼちぼちとブログを更新していこうと思います。
2つのフェースブックとHPとを連携しながら
週一回程度アップロードできればいいかな、と考えております。
(かなり以前からの素材を貯めこんでいます。古い素材もアップロードしていきます)
今後ともよろしくお願いいたします。
2015年09月09日
2015年08月31日
2015年08月27日
甲子園球場

(遅ればせながらのアップロードです)

花巻東と敦賀気比の試合を見てきました。
途中で追いつきかけましたが、突き放しました。

なんとか勝ち抜けました。
この勢いで決勝戦まで行ってくれる、と思ったのですが、
仙台育英に負けて残念でした。

高校生が晴れの舞台で、
懸命にプレーしているのを見ると
つい力が入っています。
甲子園独特の歓声のなかにいると、
どちらを応援しているのか、わからなくなる時があります。

知人から「こちらにいます」とスマートフォンに連絡が届きました。
阪神・梅田(大阪)駅には「本日の切符は売り切れました」と書いてありました。
けれども無料の外野席なら、入れるかもしれないと挑戦したら
入場できました。
来年はアルプス席に挑戦します。
「こちらにいます」の知人に相談してみようかな。