2013年11月17日
大学の学生寮OB会に参加してきました
福島大学の学生寮・旭寮のOB会に参加してきました。
一学年10名程度で三回生までの、こじんまりとした寮で、福島大学で一番小さな寮だった。
他の寮の五分の一くらいの寮生しかいなかった。
(大学を移転し、学部統合するときに廃寮となった。私が三回生のときだった)
今回は約四〇名が集まった。
たくさんの懐かしいメンバーに会った。またはじめて会う先輩の多くいた。けれどもすぐに打ち解けることができた。
この寮で3年間の生活は、今の自分の大事な部分を育んでくれた。貴重な青春の時であった。
普段の寮での生活は貧しかった。一ヶ月8800円で賄う夕食朝食は、
ご飯と、薄い味噌汁それに納豆または一品だけだった。食べ盛りの大、学生にはきつかった。
けれどもこれを補っても、じゅうぶんな心の豊かさと熱さと、
そして漠然とはしていたが、夢や希望に満ちていたように思う。
よく女子学生との交流会があった。
部屋コンと称して、新入学の女子寮生を喫茶店へ呼び出して、お見合いのようなことをよくやった。
「今年の春は50回部屋コンをした」などという猛者もいた。私もそれに近かった。
女子学生寮と、ハイキングだのクリスマスパーティーだのと言っては、遊ぶことばかりの生活だった。
この他に、普通に合コンをしたり、新入生歓迎会や寮祭があるのだから、
勉強に勤しむ寮生のほうが少なかったのかもしれない。
新入生歓迎会や寮祭、ハイキング等は、ただ遊ぶのだけではなくて、
「何のために企画をして、その行事を行うことで何を獲得しようか」
という事を真面目すぎるくらいに会議等でみんなで考えた。
数え切れない程の、大小の企画に私は携わった。
あるとき、私が行事の打ち合わせを喫茶店で行っていると
「旭寮生と待ちあわせて、部屋コンすることになった。けれども相手が来ない」
と入学したばかりの保育学生が泣きついてきたことがあった。
すぐに私は寮に電話をかけて、寮内に電話相手を探し回らせた。誰も出てこなかった。
後日、その保育学生から話を聞いた。
実はその後で相手と偶然に会い、
「旭寮生と偽って、誘いだそうとしたのだが、その相手は後ろめたくなりドタキャンした」
と打ちあけられたという。
その話を聞いて「旭寮という名前は、いい事に利用されるものなのだ」と少しほこらしい気持ちになった。
こういった信用を先輩たちが築いてきてくれた。
大学の内外での信頼を寮生は得ていた。私もその一員だったと思う。
この経験が今の自分に生きている。土台となっているのかもしれない。
この経験を生かし切る生き方、仕事を、そして社会への貢献をしていきたいものである。
私の人生には欠かせない、旭寮での三年間であった。
それを確認できたOB会であった。
一学年10名程度で三回生までの、こじんまりとした寮で、福島大学で一番小さな寮だった。
他の寮の五分の一くらいの寮生しかいなかった。
(大学を移転し、学部統合するときに廃寮となった。私が三回生のときだった)
今回は約四〇名が集まった。
たくさんの懐かしいメンバーに会った。またはじめて会う先輩の多くいた。けれどもすぐに打ち解けることができた。
この寮で3年間の生活は、今の自分の大事な部分を育んでくれた。貴重な青春の時であった。
普段の寮での生活は貧しかった。一ヶ月8800円で賄う夕食朝食は、
ご飯と、薄い味噌汁それに納豆または一品だけだった。食べ盛りの大、学生にはきつかった。
けれどもこれを補っても、じゅうぶんな心の豊かさと熱さと、
そして漠然とはしていたが、夢や希望に満ちていたように思う。
よく女子学生との交流会があった。
部屋コンと称して、新入学の女子寮生を喫茶店へ呼び出して、お見合いのようなことをよくやった。
「今年の春は50回部屋コンをした」などという猛者もいた。私もそれに近かった。
女子学生寮と、ハイキングだのクリスマスパーティーだのと言っては、遊ぶことばかりの生活だった。
この他に、普通に合コンをしたり、新入生歓迎会や寮祭があるのだから、
勉強に勤しむ寮生のほうが少なかったのかもしれない。
新入生歓迎会や寮祭、ハイキング等は、ただ遊ぶのだけではなくて、
「何のために企画をして、その行事を行うことで何を獲得しようか」
という事を真面目すぎるくらいに会議等でみんなで考えた。
数え切れない程の、大小の企画に私は携わった。
あるとき、私が行事の打ち合わせを喫茶店で行っていると
「旭寮生と待ちあわせて、部屋コンすることになった。けれども相手が来ない」
と入学したばかりの保育学生が泣きついてきたことがあった。
すぐに私は寮に電話をかけて、寮内に電話相手を探し回らせた。誰も出てこなかった。
後日、その保育学生から話を聞いた。
実はその後で相手と偶然に会い、
「旭寮生と偽って、誘いだそうとしたのだが、その相手は後ろめたくなりドタキャンした」
と打ちあけられたという。
その話を聞いて「旭寮という名前は、いい事に利用されるものなのだ」と少しほこらしい気持ちになった。
こういった信用を先輩たちが築いてきてくれた。
大学の内外での信頼を寮生は得ていた。私もその一員だったと思う。
この経験が今の自分に生きている。土台となっているのかもしれない。
この経験を生かし切る生き方、仕事を、そして社会への貢献をしていきたいものである。
私の人生には欠かせない、旭寮での三年間であった。
それを確認できたOB会であった。